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梅野 慶司 夢は「騎手」から「馬主」へ 祖父の会社を継いだ青年社長


梅野 慶司 (うめの けいし)
株式会社ケイ・パッケージ/株式会社Keishy

ライフチャート
●プロフィール
1990年福岡市生まれ。東福岡高校、玉川大学経営学部観光経営学科卒業。甲子園目指して強豪校に入り、一年生の夏からピッチャーとして活躍。故障で脱落、退部するも再起を期してAO入試で大学へ。その後、ジョッキーにあこがれて厩舎、生産牧場などで修業。日本では年齢制限に引っかかるためでオーストラリアでの免許取得を決意。旅立つ前の準備期間中に祖父が急逝。25歳にして、祖父の興したパッケージ卸売り商社を継承。その後、弟と音楽事務所を立ち上げ、現在、二つの会社の代表取締役社長を務める。
●ヒストリー
 

入学早々、強豪校の一軍で活躍
膝の故障ですさみ、退部

――高校、大学野球の選手だったと伺いました。野球を始めたきっかけは何だったのでしょう。

「父の転勤による9カ月間の沖縄暮らしです。クラスの子たちが何しゃべってるのか全然わからないし、生活習慣もまったく違うでしょう。それで、ちょうど父親が野球をしていたので、自分も野球チームに入って、それをきっかけに友だちができました。途中で、地元の子たちが中心の小学校から転勤族が多い学校に転校し、野球チームも変わったのですが、この2番目のチームのコーチ、監督との出会いが、人生で最初のターニングポイントとなりました」

――大きな出会いでしたね。

「はい。すごく大事にしてくれて、野球の楽しさを教えてくれたんです。どうやらセンスはあったようで、すぐに試合に出させてもらいました」


――福岡に帰ってからも野球三昧?

「中学生のとき、しばらくレッスンプロにゴルフを習っていたことがあります。父親の打ちっ放しについて行ったら『この子を教えたい』とスカウトされて。楽しかったし、一時期はプロを夢見たりもしましたが『やはり野球だ』と、甲子園を目指して専願で東福岡高校を受験。強豪校だけに部員も多く、普通はなかなかボールを握らせてもらえないところ、一年から一軍入り、ピッチャーとして夏も秋も投げ続けました。ところが冬に入って半月板をやっちゃって。みんなが成長していく時期だけに、どんどん、どんどん抜かれていく。2年の時に東福岡は甲子園に出場したのですが。『自分が投げているはずなのに』と悔しくて悔しくて、応援にさえ行かず一年間ユーレイ部員状態。さすがに退部させられました」
 

馬と高級車と1歳の私
小学校3年生で初の背番号17

騎手目指して渡航直前、
祖父が倒れ、経営者の道へ

――でも、野球人生は終わらなかったのですよね。

「高3の夏、ちょっとした口答えから父とケンカになったんです。『ちょっと来い!』と外に連れ出されて殴り合いの大げんか。『お前は野球をしないのか? 今、何が楽しいんだ!』と。二人とも顔ははれあがり、体中あざだらけです。近所の人が通報したのか、警官が駆けつけて事情聴取までされてしまいましたが、殴られて目が覚め『野球をしたい!』と思ったんです。二つめのターニングポイントです」

――既に退部していると、大学から声はかかりにくいんじゃないですか。

「はい、だから自分で売り込みに行きました。『野球したいんですけど』と。監督の前でキャッチボールなどをさせられて、合格点をいただいたのでしょう。書類をまとめて練習しておくように言われ、AO入試で合格。野球部で中継ぎピッチャーとして4年間、楽しく過ごすことができました」

――その後の進路については、どう考えられましたか。

「大学2年の時、母方の祖父から『将来、何がしたいのか?』と聞かれたことがあります。『好きなことをやれ。何かあればバックアップするから』と。祖父はケイ・パッケージを興した人ですが、叔父たちは違う仕事についていて、継ぐ可能性が低いことはわかっていました。それで、会社のことが頭の片隅にはあったものの、スポーツ経営学を学び、宣伝広告やイベント関係の方に興味を抱いていました。ですが、就職難で広告会社に入るのは難しい。自分が本当にやりたいことは何だろうと思い悩んでいたとき、授業で競馬を見て『これだ!』と思い、ジョッキー目指して乗馬学校に通い始めました」

――競馬の騎手って年齢制限があるんじゃないんですか。

「そう、既に遅くて日本では取得できないから海外で免許を取ろうと。美浦トレーニングセンターの厩舎所属の調教師宅に住まわせてもらって、馬の調教の修業に就いたのですが、ここで三つめのターニングポイント。いきなり競走馬に振り落とされ、蹴られて。馬ってしゃべらないし、何考えているのか、どんな気持ちなのか、わからないじゃないですか。今まで、何でもすぐ吸収して、何でもやれてきただけに、どうしてうまくいかないんだ、と悔しくて、悔しくて。毎日、毎日、泣いてました。こんな経験、初めてのことでした」

――どうやって乗り越えたのですか。

「オーストラリアから短期免許で来られた外人ジョッキーから励まされて。片言の英会話ですが、乗り方や馬とのコミュニケーションのとり方など、いろんな話を聞いて、実践しているうちに、何とかこなせるようになってきました。その後、生産牧場などで研修を重ね、いよいよ海外で免許をとるためにビザ申請。いったん実家に戻り、祖父の運転手としてケイ・パッケージでバイトさせてもらったんです。ところが、渡航予定の直前に祖父が心筋梗塞で倒れたんです。病室で手を握って『会社をどうするかはお前が決めろ』と言うんですよ」

――それは責任重大ですね。

「悩みました。とりあえず渡航予定を遅らせ、祖父の代理として営業に回りながらも、頭の中では『いつ行こうか』と考えていたんです。ところが行く先々で「おじいさん、あんたと一緒に仕事ができることとても喜んでいたよ」「ようやく夢がかなった、って言ってた」などと聞かされるんです。とても逃げるわけにはいきません。倒れて3カ月後に祖父は亡くなり、会社を継ぐことを決意しました」

競走馬の調教

飲めない酒で無理せず
得意なスポーツで営業

――まったく畑違いの道。戸惑い、苦労されたことと思われますが。

「未経験もいいところですからね。パッケージのことは何もわからないから、人生で初めてガムシャラに勉強しました。ですが、なんと言っても苦労したのはお酒です」

――下戸ですか?

「苦手な家系なんです。最初は無理して飲んで、ゲーゲー吐いて苦しみながらも、飲みに行くこと、酒の席での接待が営業と思ってやっていました。でも辛くて、辛くて、これでは体がもたないと途中で切り替えました。酒から『ザ・スポーツ』に。考えてみたら、飲みに行ってもその時に話したことお互いにあまり覚えていないことが多いもの。その点、ゴルフが一番、話のネタとしてはいいのかな、と思います。ゴルフ、野球などのほか、今年の3月には、お客さまから誘われてマラソン大会に出場しました。人生初のフルマラソン完走。めちゃめちゃ感動して、やみつきになりそうです」

――梅野さんらしい営業ツールですね。

「祖父はやはり飲みに行ってなんぼのタイプでしたから、長年のお客さまから『やり方が全然違うね』と言われることもあります。ですが、『はい、自分は先代とは違うんで』と、このスタイルを貫いています。もちろん、祖父の教えであるお客様を第一に考える精神はしっかり受け継がせてもらい、おかげさまで、業績は維持から少しプラスに。全般に好意的に受け止められているようです」

――ところで、ジョッキーへの未練は断ち切れたのでしょうか。

「はい、今は馬主になることが目標なんです。日本ダービーを見たとき、ゴールの瞬間のワーッという歓声がすごくて。あそこにいる人になりたい、人に感動を与えられる人になりたいと思ったのが、ジョッキーを目指したきっかけでした。そうか、あの感動の輪の中にいるためには馬主になればいいんだ、と。それで完全に切り替えることができました。
 仕事の方では『パッケージブランド』をつくるのが夢。あくまで中の商品がメインで、箱・パッケージはそれを包むためのツールに過ぎないでしょう。それを逆転させて、『箱』『パッケージ』そのものが主役になるような『ケイ』ブランド。両方の夢を実現させるために頑張ります」

 

初のフルマラソンで完走
週末は草野球

 

氏名 梅野 慶司(うめの けいし)
会社名・団体名 株式会社ケイ・パッケージ/株式会社Keishy
所在地

〒814-0001福岡市早良区百道浜1-3-70-3306

関連ホームページ https://kei-package.com/
 
 
 
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 インタビューを終えて
「梅野 慶司」考

 

パーソナルフィナンシャルカレッジ 守田 弘美

 26歳。浅黒く日焼けしたスポーツマンは、ドラマに出てくる“青年実業家”といった雰囲気だ。
 野球をやらせれば、有名な強豪校で1年生の時から1軍入り。父親のおともでゴルフ練習場に行っては、プロから「この子を指導したい」とスカウトされる。通常2年コースの乗馬学校も1年で技術習得、修了。何をやらせても非凡な能力を発揮するのは、ちょっと嫌みなくらいだ。
 しかし、本人は言う。一見、いろんなことをすんなりこなしてきているように思われがちだが、決して要領がいいわけではなく、「モノマネが特技」なだけなのだと。あこがれの選手の技術を盗もうとフォームをマネする。気配りや目配りがスバラシイ先輩を見ると「あんな人間になりたい」と立ち居振る舞いをマネする。案外、純粋で素直だ。だからこそ、行く先々で監督やコーチからかわいがられ。目をかけられては、先輩たちの嫉妬をかっていたことだろう。
 どんな芸道でもスポーツでも、師を手本に模倣することから始まる。「マネして演じているだけで、中身スカスカですよ」と笑うが、そうやって、どんどん何でも幅広く吸収していくところが、梅野さんの何よりの力なのだと思う。
 祖父亡きあと、会社を継いでまだ2年。出足は順調だが、今後、どのような試練が待ち受けているかはわからない。祖父から託された会社という財産を守り育てていくためには、先代の手法にこだわり固執するのではなく、時にはダイナミックに変えていくことが重要だと、梅野さんは十分に理解している。会社と梅野さん自身が、さまざまな困難を乗り越えて大きく成長し、いつか「ケイ」ブランドのパッケージと「馬主」の夢を実現させることを期待したい。

 
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