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守田 弘美 生活者の金融リテラシー向上を ライフワークに奮闘する女性FP


守田 弘美 (もりた ひろみ)
パーソナルフィナンシャルカレッジ

ライフチャート
●プロフィール
1967年福岡市生まれ。筑紫女学園高校、福岡大学商学部商学科卒業。損害保険会社で4年間勤めて退職。アメリカ留学へ向けた準備を進めているさなかに母が病に倒れ、留学断念。自立できる仕事を模索する中でファイナンシャル・プランナーと出合い、資格取得。講師・相談員・セミナーなどの依頼が相次ぎ順調にFPとしての活動がスタート。2001年、女性FP3人で共同事務所開設。その後、メンバーの急逝などさまざまな事態を経て、事務所は2人体制に。各種セミナー講師、大学の非常勤講師、資格取得講座講師など年間150~200回の講師活動で多忙な日々を送っている。
●ヒストリー
 

中学生の頃からの夢
アメリカ留学を目標に

――講師として活躍されていますが、小さい頃からリーダータイプだったんですか。

「とんでもない。リーダーではなくウラで支える参謀とかブレーン。人前に出て引っ張っていくよりも縁の下の力持ち的な役回りが向いているんです。成績も、フツーにそこそこの中間レベルで、よかったのは体育だけ。運動神経は抜群で、バク転とかバク宙なんか平気で。そういえば、先生から『セーラー服を着た男』と言われていました」

――留学を考えていたんですって?

「はい、英会話教室の先生が、結婚してアメリカに住んでいたんです。その先生と文通を続けていて、中学生の頃からずっと、『いつかアメリカの大学に行くんだ』と勝手に思い込んでいました」

――では大学受験も、その先の留学を念頭においていたんですか。

「そのために英語専攻や英文科を目指したのですが希望かなわず。ですが、マーケティングや流通経済などの科目が面白くて、経済活動の仕組みなど社会に出て役に立つことが学べて、結果的には商学部でよかったと思っています。簿記だけは全然ダメで、お金の計算が得意じゃないのかも……なのに、どうして今、こんな仕事しているんでしょうか(笑)。不思議ですね」

――アメリカで何を勉強しようと思っていたのですか。

「最初は漠然としか描いていませんでしたが、3年の夏休みに1カ月ほどアリゾナに行ったんです。文通を続けていた英会話の先生の家に泊めてもらって。アリゾナ大学のキャンパスに連れて行ってもらって、ああいいなあ、こんな大学で勉強したいなあと、実際にこの目で見て、改めて強く思いました。その頃からマジメに、アメリカの大学でマーケティングやコミュニケーション学を勉強しよう。大学に編入して学位をとって大学院で修士をとりたいと計画を立て始めました。ですが、高校から私立に行っているから、これ以上、親に甘えることはできない。自分で働いて、ある程度のお金を貯めてから留学しようという目標を立てました」

大学三年の夏、アメリカで.初めての海外

母の病で留学断念
自立の道を模索する中でFPと出合う

――就職は、あくまで留学資金を貯めることが目的だったわけですね。

「そうなんです。バブルの時代、給料もボーナスもいいというだけの理由で損害保険会社を選びました。自動車事故の査定を行う部署に配属され、事故の受付と示談交渉に追われる日々。毎日、毎日、怒鳴られどおしで精神的に、かなりきつかったですね。何とか400万円ほど貯めて、5年目に夏のボーナスをもらったあとに退社しました」

――すぐ、留学する予定だったんですか。

「退職したのが6月。向こうは9月入学なので、さすがにそれには間に合わず、翌年9月入学、その半年くらい前に現地の語学学校に入るという計画でした。大学の候補をいくつか選び出し、ゼミの教授と退職した会社の上司に推薦状を書いてもらったり、大学にエッセーを提出したりと準備を着々と進めていたのですが、その年の10月に母親が倒れて。胃がんの末期で手術もできない状態だったんです」

――それは大変。留学どころではなくなりましたね。

「父は家事どころかATMさえ使えないような人ですし、祖母は90歳近い年齢。兄夫婦が同じ敷地に住んでいたので、義理の姉に父と祖母の食事くらいはお願いしたとしても、義姉一人にすべて押し付けてアメリカに行くわけにはいきません。留学は断念せざるを得ませんでした。では、これからどうすればいいのか。就職氷河期と言われた時代、30歳前になっていた私に職探しなんてとんでもない。何か仕事につながる資格を取るしかない。母の病室に泊まり込んでいる間、毎日、資格の本をめくっていました」

――そこで、FP(ファイナンシャル・プランナー)と出合ったわけですね。

「税理士、社労士、不動産鑑定士など、いろいろ見ていても、自分に何ができるのか、何が適しているのかなどまったく見当つきません。そんなときに『FP』という資格があり、税務、社会保険、不動産、金融、保険などを一通り勉強するということを知り、それなら、まずはFPの資格を取っていろいろなことについて広く浅く学び、その中から興味をもてることへと進んでいけばいいと思ったんです」

――あくまでFPは次の資格のための一つのステップ。

「そう考えていたのに、すっかりハマッてしまい今に至るわけですが。『FPを取ったからと言って、食べていけるとは思うなよ』と先輩たちから言われました。確かに当時はそうだったと思います。ですが、国家資格になるという話も既に出始めていましたし、何より、今後もっと必要とされ、ニーズが出てくる仕事になると確信したんです」

――守田さんの読み通りに進んだようですね。

「いいタイミングだったと思います。母の病気に留学断念と不運続きでしたが『FPになろう』と思った瞬間からツキまくってる(笑)。29歳でFPの資格を取得したのですが、その頃から急にFPの資格の学校が増えてきました。そして、保険、金融、不動産など6つの分野を1人の講師で教えることはできないことになっています。そこで、損保出身の私に、保険分野の講師として声がかかるようになりました。FP資格を取ったのが、福岡では早い方だったんですね。営業など何もせずに、講師や相談員、セミナーの仕事が次々と舞い込んできました。
 アメリカに行くことしか考えていなかったけれど、行かないことが私の運命だったんでしょう。これでよかったのかもしれません」

日本FP協会のフォーラムで相談会の受付担当.

話を聞くだけで
人に喜ばれる仕事

――損保での経験も生かされて、本当にいい仕事を選ばれましたね。

「保険会社にいた頃は、お客さまに怒鳴られることはあっても感謝されることはほとんどありませんでした。事故処理はうまくやって当たり前。いったん、もめるとそれはもう大変なことになります。ところがFPになると『相談してよかった』『とても勉強になった』と喜ばれるばかり。特に、『主人に先立たれ、誰に相談していいのかわからず心細かったんです。相談に来て本当に良かった』と涙を流された時には、こちらもジーンと胸が熱くなりました。人に喜ばれる仕事って、ホント、いいものですね」

――女性FPの共同事務所も注目されました。

「2001年に3人で開いたのですが、女性FPだけの事務所は、福岡では初めて。全国的にも珍しかったそうです。ちょうどその年に確定拠出年金制度がスタートして、導入研修のニーズが高まったこともあり、みんなガンガン働いて事務所も順調に回っていたのですが、2011年に先輩がくも膜下出血で急逝。もちろん大変にはなりましたが、現在は個別相談をお受けせず、講師業をメインに、二人で頑張っています」

――今後の抱負、夢を聞かせてください。

「たとえば確定拠出年金ひとつとっても、疎い方が多いですよね。NISAにしても金融機関のいいなりで何も理解されていない。やはりきちんと理解して自分で選択していくことが必要です。一般の生活者の金融リテラシーを高めていくことを私のライフワークと考えています。実は、人前に立って話すことって決して好きではないのですが、そんな思いから精力的に講師活動を続けています」
 

損害保険会社勤務時代

 

 

氏名 守田 弘美(もりた ひろみ)
会社名・団体名 パーソナルフィナンシャルカレッジ
所在地

〒814-0002 福岡市早良区西新4-8-34-503
TEL 092-832-3205 FAX 092-832-3206

関連ホームページ http://pfcfukuoka.com
 
 
 
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 インタビューを終えて
「守田 弘美」考

 

ディア・ナチュラル 杉原 美保

 ファイナンシャル・プランナーとして、資格の学校はもちろん、自治体や民間団体・企業が主催するセミナー、大学・短大などさまざまなところから声がかかり、講師活動にいそしむ守田さん。壇上に立つ姿は、堂々と自信に満ちあふれているように見える。きっと、幼少期・青年期を通じて、優秀な学級委員・クラスのリーダー格で、人前に立って話すことに慣れているのだろうと以前から思っていた。
 ところが「リーダーではなく縁の下の力持ち」で「輝かしい思い出は何もない」という。人前で話すことにしても「できるかできないかと聞かれたらできます。だけど、決して好きではありません」と。本人が言うとおりならば、年間200回近く講師として人前に立ち、明快にわかりやすく話し、語り、人をひきこんでいくその力は、一体どこで培われてきたのだろうか。
 お母様が病に倒れたことで断念せざるを得なかったものの、ひたすら、アメリカ留学へ向かって突き進んでいた守田さん。いったん決めたことは貫き通す強い精神力の持ち主だ。留学という大きな夢・目標が失われたとき、ともすれば自らの運命をのろい、すさみ、自暴自棄になりかねない。しかし守田さんは「悩んでいても仕方がない」とスパッと切り替えることでFPと出合い、新たな人生を切り開くことができた。「ツキまくってる」と本人は言うが、それは彼女自身が引き寄せたツキにほかならない。
 「一般生活者の金融リテラシー向上」をライフワークと定めた今、その信念が、守田さんの自信となり、豊かな表現力、発信力の源となっているのだろう。金融リテラシーの向上が課題とされる私たち市民にとって、守田さんは心強い「ブレーン・参謀」である。

 
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