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杉原 美保 愛情の深さが、乗り越える力 女性の元気を支えるカウンセラー


杉原 美保 (すぎはら みほ)
株式会社アジュレール(ディア・ナチュラル)

ライフチャート
●プロフィール
1974年北九州市生まれ。歳の離れた二人の弟の姉として育つ。厳格過ぎる父の言動に、辛い青春時代を送る。高校卒業後、地元百貨店で働くものの、父の過干渉により退職せざるを得なくなるが、妊娠を機に結婚。家から出るという念願を果たす。シングルになった際のアロマとの出会いから、身体やメンタルの大切さに気付き、猛勉強の末、2010年独立開業。「食」「自然」「メンタル」「運動」の4面から支えるプログラム「ディア・ナチュラル」を展開中。19歳の息子と高校二年生の娘の母でもある。
●ヒストリー
 

父の虐待に耐える毎日
弟の存在が生きる力に

――突然ですが、日に焼けていらっしゃいますよね。運動とかされてるんですか?

「(笑)わかりますよねー。昨日、小倉から門司港まで歩いたんですよ」

――(驚)小倉から!?

「ちょっとした記念日だったので、みんなで2時間くらいかけて。もちろん、私の仕事の一環でもあるんですけどね」


――ご出身は北九州。どんな子ども時代を?

「9歳下、11歳下に弟がいて、母親のように世話をした記憶があります。祖母が近所で商売をしていて、両親はその手伝いをしていました。性格的には特にしっかりしていた訳ではなく、父が厳格だったので、家では萎縮して過ごしていました」

――そんなに厳しいお父さんだったのですか。

「事業を失敗したあたりから、さらに厳しさが増しました。友だちが家に遊びに来ると、父が『友だちチェック』するんですよ。あの子とは遊んでもいい、あの子とはダメだとか。だから、友だちも呼ばなくなって、一人で遊ぶことが多くなりました。絵を描いたり、本読んだり。もともと喘息持ちで、学校の体育も見学するくらいひどかったし、とにかく走ることはNG。毎月病院に行って、注射されてました」

――それは、寂しかったですね。

「だから、弟が産まれた時は、嬉しかったですね。兄弟がいる友だちがうらやましかったから、なんか『リアルお母さんごっこ』ができるみたいで。お年玉で、手押し車買ってあげたりもしたんですよ(笑)」

――学校では、いかがでしたか?

「いじめの対象でしたね。覚えもないことで、疑われたりして。だから、自分の気持ちを言わない子どもになりました。言ったって、仕方ない。どうせ伝わらないんだからと。父に対してもそうでした。だから、幼少のころは感情を出さない、というか感情を無くしていたんじゃないかと。自分の気持ちの持っていく場所がなかったから、仕方なかったのかもしれません」

就職先にも乗り込む父から
妊娠・結婚を機に解放される

――高校に上がると、何か変化が?

「とりあえずは公立高校の普通科に進学。中学の頃から英語が得意だったので、高校でも頑張りました。ただ、父は経済力がないし、束縛もひどかったから、外に出てバイトをしようと。とにかく、この先のためにも貯金しなきゃと思って、ガソリンスタンドでアルバイトを始めました。楽しかったし、コツコツ働いたので、時給700円だったのに100万くらい貯金できてたんですよ」

――それは、すごいですね。頑張りましたね。

「だけど、そのお金も、気づかない間に父に使われてしまいました。腹が立って、悔しくて…。そんな父との関係でしたから、その頃は家にはほとんど帰らず、祖母のところにいましたね」

――高校卒業後は、就職をされました。

「高校3年のとき、心配してくれていた先生が、私のために2枚の求人票を持ってきてくれました。一枚が保険会社の事務の仕事で、もう一枚が地元の百貨店。私は迷わず百貨店を受けて、採用していただき、紳士靴売り場で働きました。革の勉強したりして、半年間は楽しかったですね」

――半年? まさか…

「はい、父が来たんですよ、職場に。地元の有名な百貨店だったのに、『なんで、こんなところにおるんだ』とか『辞めさせろ』とか言い始めて。職場にも迷惑かけられないので、やむなく退職。私は家にこもって、廃人のようになりました」

――ひどすぎて、言葉が見つかりません…

「その頃、父と母は離婚しています。母もそんな父についていけなくなったんでしょう」

――でも、突破口が見つかった。

「百貨店に勤めていた時、お付き合いしている人がいて、退職した後も、こっそり会っていたんです。そこから妊娠が分かったので、父に伝えて、結婚の許しをもらったんです。いろいろ言ってましたが、子どもができたんなら仕方ないと。私は家から出ることができて、やっと父から解放されたんです」

 

シングルになり昼夜勤務の日々
新しい出会いが、すべてを変えた

――そこから、妻として、母としての生活が始まるんですか。

「いえ、私は働きたかったんです。主人の収入もそう多くはなかったですし。それで、夜の仕事に出かけ、しばらくは主人が子どもの世話をしてくれました。でも、主人がバツイチだったことや、借金があることが発覚して愕然。二人目ができた26歳の時に、離婚しました」

――杉原さんには、次々と試練が舞い込んでくる。

「そこから、シングルでの仕事と育児の日々。朝6時くらいに起きて、7時半に家を出て、一人は小学校へ、一人は保育園へ。アパレルとか介護職とか、いろんな仕事を一日やり、延長保育19時までの子どもを保育園に迎えに行き、自宅で夕飯を食べさせて、今度は子ども二人を託児所に連れていき、私は夜の仕事へ。夜の仕事の終了時間は、早い時は1時くらい。遅くなったら3時くらいになり、託児所に迎えに行って、家に帰る。翌日はまた6時起きと、怒涛の毎日でした」

――そこから、光が差すきっかけがあるんですよね。

「30歳過ぎまでそんな生活だったので、疲れがたまって、アロマサロンに行ってみたんです。そこでセラピストさんに出会って、こんな仕事もあるんだと。そこから興味を持って、アロマセラピーの講座を受けた中で、身体とメンタルとの関係性、ストレスで身体が弱くなることも学びました。『あー、私もそうだったんだ』って。その後、メディカルハーブの勉強もして、インストラクター資格も取り、資格取得認定校の認定も取得。それで、上の子が中学に上がるタイミングの2010年に開業しました」

――やっと、前に進んだんですね。

「計画通りです。2年計画で、細かく決めて、その通りに進みましたからね。最初は、営業がなかなかできなくて、お客様を呼ぶ方法もわからなくて、苦労しました。今は、例えば、薬に頼らない生活や、『健康美生活』を提唱し、カウンセリングを行ったり、自分の問題として理解し、取り組めるような仕組みを作ったところ、少しずつ広がるようになりました。安心安全なものを食べたり、自然に触れたり、ストレスのかからない生活をしたり、適度な運動をしたり。この『食』『自然』『メンタル』『運動』の4つの面を意識して生活すると、心も身体も元気になって、本来の健康美を取り戻せるんです。マンツーマンサポートやレッスンを通して、女性が明るく元気な社会づくりに貢献したいと考えています」

――そのサービスの一環が、門司港までのウォーキングなんですね。

「北九州総合体育館の近くで、毎週木曜日の朝、『体づくりカフェ』というのをやっているんです。皆さんの運動習慣づくりのきっかけになればと、金毘羅神社あたりを歩くだけなんですが、それが先日30回を迎えたので、記念に門司港まで歩いてみようということになったんです。喘息持ちだった私が、すごいでしょ。今では、距離は短いけどマラソンにも挑戦しています。
 若い頃は毎日が歪んでいたけど、今は、周囲の方に支えられていますし、みんなが先生という感じ。子どもともコミュニケーションが取れるようになって、学校の行事にも行くことができるようになりました。お母さんは家族の元気の素。お母さんが元気であれば、家族も元気になる。いろんなアレルギーが出ている時代ですが、心と身体を整えれば改善することも多いんですよ。前を向いていけば、愛情があれば、乗り越えられる。私の実体験ですけどね(笑)」

 

 

氏名 杉原 美保(すぎはら みほ)
会社名・団体名 株式会社アジュレール(ディア・ナチュラル)
所在地

〒802-0077 北九州市小倉北区馬借1-3-20-501
TEL090-5029-4451

関連ホームページ http://dearnatural.com
 
 
 
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 インタビューを終えて
「杉原 美保」考

 

社会福祉法人さつき会 上田 浩司

 スニーカーを履いて、颯爽と歩く杉原さんからは想像できない、辛く厳しい青春時代。何が彼女を奮い立たせ、前に進ませたのだろうか。
何度も「死にたい」と思ったという。自分がここにいる意味を見いだせないことほど、苦しいことはないだろう。しかし、彼女の中にあった光は「弟の役に立った」という言葉。おしめを替え、おもちゃを買ってあげたこと。小さな弟を守ってあげなきゃ。その「愛情」こそが、彼女の生きる力になったのだ。
父の暴走は、親になった今でも理解できないという。もしかしたら父親自身も、愛情不足だったのかもしれない。しかし杉原さんは無意識にわかっていたのだ。愛情は、かけた分だけ返ってくることを。誰かにかけた無償の愛は、回り回って、どこかで戻ってくることを。
杉原さんの愛情は、今、子どもたちに受け継がれている。息子はアルバイトを頑張り、そのまま正社員に採用された。下の娘は、ダブルスクールで頑張っている。子どもたちは、母の背中から愛情を受け、これから、母を支える存在になるだろう。
彼女の笑顔は、周囲の人たちを明るく、元気にしてくれる。これからも、多くの人を笑顔にする、そんな存在であり続けてほしい。