松本 雅彦 (まつもと まさひこ)
まつぼん(CAFEココ)
――お子さんの不登校が、脱サラ開業のきっかけだということですが、松本さんご自身はどのような子ども時代を送られたんですか。
「おとなしい子どもでした。人見知りで人前に出るどころか、教室で手を挙げることさえできない。注目されるのが大の苦手だったんですが、そのことがコンプレックスになって、逆に少しずつ、自分も目立ちたい、と思うようになってきました」
――具体的には?
「高校の文化祭でコスプレしたり。『天才バカボン』の『レレレのおじさん』をやりました」
――それは、なかなか。進路は、どう考えられたのですか。
「兼業農家の長男なんで、役所か農協に入って兼業農家として働くのが当然と思われていたんです。田舎で小さくおさまるのはイヤで、大学だけは行かせてくれとお願いして、何とか許してもらいました」
――学生生活はいかがでしたか。
「山口の田舎で、遊ぶところが何もなかったけれど、居酒屋でのバイトが楽しかったですね。店長はじめいい大人たちに囲まれて。ホールでの接客を中心に厨房も経験。将来、IT以外なら飲食業もいいなあと思ったりしたものです。この時の楽しかった経験が、今につながっています」
――就職はIT業界ですね。
「学校から紹介された企業に一発で決めました。創業2年目でしたが、地元大手のグループ企業で安心ですし将来性もありそうでしたから。その一年後にバブル崩壊。私は第一志望の大学に落ちて短大に行ったのですが、4年制大学に進んだ同級生たちの就職は悲惨な状況でした。人生、何が幸いするかわからないものです」
――会社の方も大変になったのでは?
「そうなんです。順調に業績を上げていたのに雲行きが悪化。九州の企業からの受注だけではやっていけず、東京から仕事を取ってこないといけない状況になり東京に転勤。都会の生活を満喫していたところ、一年後に父がガンで倒れたんです。やはり農家を継がなきゃいけないんじゃないかと悩み、『農家の嫁になる気は無い』という彼女とも別れ、お先真っ暗に。結局、農家を継ぐこともなく福岡に戻ったんですが、当時はすべてがネガティブにしか考えられなかったんです。ちなみに『もう一生会うことはない』と覚悟して別れた彼女とは数年後、電車の中で偶然、再会。それが、今の妻です」
――暗くなりかけたところ、いいオチでホッとしました。そんなご夫婦のお子さんが不登校に。
「今、高2の長男が中1の7月、急に学校に行けなくなったんです。頭が痛い、おなかが痛いと言って、布団の中から出てこようとしない。こちらは、学校には行かなきゃいけないものと思っているから、布団を引きはがして力ずくで引きずり出そうとするけれど、頑として受け付けません。悪いことに、不登校になった次の週から東京に半年間の長期出張に。遠くからやきもきして、『今日は学校に行ったか?』と毎日、電話で妻に確認するけれど、一向に改善する兆しはない。転校も考えましたが、本人はそれも拒否。どんなにあれこれ手を尽くしても、変わりません。気持ちがまったく理解できず悩みました」
――抜け出すきっかけは。
「不登校サポートネットという支援団体との出合いです。まず妻が行きだしたんですが、帰ってきていろいろ話す姿がとっても生き生きとしているんですよ。何で不登校の話をするのに、生き生きしているんだろうと不思議で。すごいなあ、俺も行ってみようかなあと二人で親の集いや勉強会に参加するようになりました」
――何が、奥様をそこまで生き生きとさせたのでしょうか。
「『学校に行かなくてもいい』という選択肢があることに気づかせてくれたんです。学校に行くことが唯一の正解ではない、と。子どもの不登校に直面したとき、何が不安かというと『この子の将来』なんですが、サポートネットを通じて、多くの不登校を抜け出した青年たちと出会うことができました。学校に行けなくても、ああいう立派な青年になれるじゃないか。学校以外でも学ぶことはできる、働くことだってできる、大丈夫だ。そう安心できて、親の方が一歩、抜け出せた気がしました。
私の場合、ココロの病にかかった同僚がいたことも大きかったですね。がむしゃらに「ガンバレ!もっともっと!」と突き進むのが当たり前、そうあるべきだと思い込んでいた自分の考え方は、なんと偏っていたことか。人間のココロってそんな単純なものじゃない、不思議なものだと思って、心理学のスクールに通い始めました。カウンセリングを受けているような感じで、学ぶというよりも自分自身が癒やされる営みでした」
――それが脱サラ、起業の決断につながるわけですね。
「家族と一緒に共有できる時間を増やしたいと思ったんです。同時に、私たちは、いろいろな支援を受けて抜け出せた。今度は、同じように苦しんでいる人たちを支援する側に回りたい。SEとして独立して、支援もやっていくには、みんなが集ってこられるような場をつくればいい、と。妻も『いいじゃん、いいじゃん、やろうよ!』と後押ししてくれて、不登校の子どもたちや親、ココロのことで悩む人たちがホッとできる居場所、駆け込み寺としてのカフェを開くことになったんです」
――お子さんの不登校が、ご夫婦を新たな道に誘ってくれたとも言えそうですね。
「夫婦そろって物の見方、とらえ方が変わって、より自由に解放されたような気がしますね」
――その後、お子さんはどうされていますか。。
「こちらの変化を息子も敏感に感じ取っているようで、かたくなさが少しずつほどけ、柔らかくなってきました。布団から出てこられず昼夜逆転だったのが、自分の部屋からリビングで過ごせるようになり、家族とともに過ごす時間が少しずつ増えてきて。今は、単位制の博多青松高校に通っています。今でも、ドキッとするようなことを言って、ハラハラさせられることもあります。そんなときも頭から否定するのではなく、『あー、そんなふうに感じるんだね』と、まずは受け入れること。彼は彼なりに、自分で考えているんだと思います。今は中2の次男が、不登校真っ最中。小6から行かなくなり、中学校へは足一つ踏み入れていません。行かない事への罪悪感があり、将来について悩み苦しんでいるようですが、それもひとつの過程。本人が動き出すまで信じて待つことが何より大切だと思っています」
――「CAFEココ」とは、どういう意味なんですか。
「ココからスタート。過去を後悔してクヨクヨしたり、来てもいない未来に不安を抱いてもしょうがない。今、ここを大切に。苦しいことも楽しいことも、今あることの事実を受け止めて、今、この瞬間をしっかり味わって生きていこう、そんな思いから名付けました。。
私たちにとっては、不登校がすべての転機。何でも楽しい、すべてが楽しい。ほかの人から見たら大変そうに見えるかもしれませんが、今この瞬間を充実してココロから楽しんで生きています」
氏名 | 松本 雅彦(まつもと まさひこ) |
会社名・団体名 | まつぼん(CAFEココ) |
所在地 |
〒819-0161 福岡市西区今宿東1-31-26 |
関連ホームページ | cafecoco.ma2bon.com www.ma2bon.com/ |
インタビューを終えて
「松本 雅彦」考
株式会社オフィスナチュラルズ 草原 祥子
「人前に出ること、注目されることが苦手なおとなしい子どもだった」という松本さんは、今でも温和で控えめな印象を受ける。少々軽いコトバで言うならば“癒やし系”。SEというハードな職にいそしみながらも、きっと、優しい夫、理解ある父親として温かい家庭を築いてきたことだろう。
そんな松本さんが、お子さんの不登校に直面したときは、激しく動揺。東京勤務と重なり、一人で対処しなければならなくなった奥様のことも心配で、気が気でなかったのではないだろうか。
親にとって、子どもは別人格だと頭ではわかっていても、わが子が自分の理解を超えた遠い存在に感じるのは大変辛いことだと思う。特に、文武両道の進学校で、「スクールウォーズ」サッカー版のような熱血教師の厳しいクラブ活動に汗を流し、文化祭を楽しみ、地元就職を願う親を説得して進学した松本さんにとって「学校に行かない」「学校に行けない」ことなど、それまで考えたことさえなかったのではないか。悩み苦しみ、壮絶な日々が続いたことは想像に難くない。
しかし、夫婦で乗り越え、新たな親子関係を築くにとどまらず、不登校の子どもと親、ココロのことで悩む人たちの「居場所」としてのカフェを開業。支援されることで救われた体験者だからこそ、今度は支援する側にと考えるところが松本さんらしい。
子どもの不登校という体験を機に、自分たちが変わり、今を楽しく生きることができるようになったいう松本さん。カフェは、いろんな人たちの自己表現・自己実現、スタートアップの場として地域に開放、さまざまなセミナー、ワークショップ、サークル活動などが開かれている。この小さな拠点から新しい文化、社会に貢献するビジネスの芽が育つことが期待できそうだ。