上田 浩司 (うえだ ひろし)
社会福祉法人さつき会
――上田さんって、落ち着きなかったでしょ~
「わかりますよね、その通りです(笑)。2歳の時、誕生日プレゼントの三輪車とともに半日行方不明になったらしいです」
――どんな風に成長されたんでしょう。
「育ったのは久山町なので、田舎の山の中とかで遊んでました。穴を掘ってたけのこ取ったりして。両親は当時、『どろんこ農園』という無認可作業所を自宅で運営していて、いつも障がいのある方と一緒に生活していました。小学校・中学校では9年間、剣道をやっていました。」
――勉強はいかがでしたか。
「普通にできる方だったと思います。高校に進学してからは、吹奏楽部でテナーサックスを担当。校風も自由だったので、楽しかったですね。授業の進み方が早くて、2年の10月に高校の全カリキュラム終了。え?終わったの??という感じで、勉強に全くついていけないので、学校サボって、図書館で12時間勉強したり、時々他校の女の子と遊んだりしてました」
――東京の大学に進学されたんですね。
「中学生の時から文化人類学を学ぼうと思っていたので、東京都立大学を決めたけど、やってみたら全然面白くなくて(笑)。社会学で地域づくり的な学科を専攻。卒論は商店街の研究でした。バイトは中華料理店だったので、作り方も教えてもらえるし、賄いもあるし。お金なかったから、カップラーメン買うのももったいなくて、できるだけ3食作って、お昼の弁当持参」
――えらいですねー
「イタリアンとかフレンチとかでバイトしている友だちもいて、集まって、料理を教え合ったりもしてました。それに、他の大学との交流もあって、サークルで遊んだりして、充実した大学生活を送りました。就活はしてないです。というのも、高校3年の時に自宅でやっていた無認可作業所が『社会福祉法人さつき会』になったんですが、法人化してから行った事なかったんです。それで、学生時代の夏休みにボランティアで1ヶ月働きました。そうしたら、大学時代に興味関心を持って勉強・研究していた、当時「地域づくり」と推進されていた、『障がい者の地域移行』というテーマが凄く関係あると思いました。学生時代勉強したことを活かして、「障がいのある方が過ごしやすい地域づくり」をやったら面白いんじゃないかと思いました」
――卒業後は、さつき会に?
「4月から、さまざまな施設で経験を積み、8月のお盆明けくらいから準備をはじめました」
――というのは?
「障がい者の方を就業の面から支える就労支援施設『はまゆうワークセンター』を開設することになったんです。私達が運営する施設を、地域づくりに役立てたいという思いがあり、障がいのある方が働くに当たってのプログラムをしっかり考え、2003年10月に開所となりました。
障がいのある方が一緒にいることは、全然特別なことじゃないし、違和感を感じるものでもない。だったら、私に何ができるのかと考えた時、やっぱり皆さんの仕事場所を作らなきゃと。売り上げを上げて、皆さんに還元できるシステムが必要だと。さらには、その仕事が皆さんの訓練につながらなきゃ、ダメだなとも。障がいのある方に仕事をしていただくシステムは、いろんな角度から考え、検証し、障がい者就労に理解がある顧客先を開拓し、進めなければなりませんから」
――ハードルがたくさんありそうですね。
「ところが、ワークセンターのスタッフは私も含めて全員が新卒で、何もわからない。やりながら、考えながら、進んでいくしかなくて。私はというと事務仕事が苦手で、書類作成に苦労して。でも、それも仕事ですよね。私たちの法人の運営費は、税金も使われているので、県の監査もあるし、支援の記録も報告も必要です。特に支援は変化する可能性があるので、記録はとても大切なんですよ。
私のいた『はまゆうワークセンター宗像』では、私は主任で、母が施設長でした。その後、28歳で重度の障がい者が生活の場として日々暮らしている『玄海はまゆう学園』の運営を任されることになりました。この時も、職員もまだ育っていないし、悩むことが多かったんですが、ある勉強会で会った方から、『何でも自分でできると思ったらダメですよ』と。『しなければならないことは、現場の皆さんが働きやすくなることです』とも。その言葉をいただいてから、職員の待遇改善やいろんな企業の方と関係を作るなど、営業活動に力を入れるようになりました。まだまだですけどね」
――さまざまな課題を、一つずつ解決しながら、進んでいったんですね。
「施設の透明性を高めることとか、設備の充実とか。ミスが起こることを前提に、動き方を考えたり、やらなければならないことは多かったですね。その後、今から3年前に、ワークセンター勤務に戻りましたが、ここでは人手不足という問題がありました。そこで、障がい者さんの土曜日の利用を半日にしてもらって、職員が続けていけるような体制を作りました。また、特別支援学校の進路指導の先生と連携し、職場体験を受け入れたり、地域にいる障がい者の方に当施設の情報を届けようと、情報発信への取り組みにも力を入れています」
――そして、オリジナル商品の開発にも注目されています。
「障がい者自立支援法ができた時、工賃をできるだけ稼げるようにアドバイザーに入ってもらったことがありました。その時に、『さつまいもを作れないか』という話が出たんです。それも、そのまま売るんじゃなくて、焼酎にして販売する。やってみたら、芋をただ作るのと違って付加価値が付く上に、日持ちもするので年中売れることがわかった。そこで、地域の休耕地を活かして生産する仕組みとか、地域の特産品を活かして何かを生み出すとか、障がい者たちが地域づくりに一役買っているという形に、意味があるんじゃないかと確信し、さらに充実させているところです」
――障がい者支援の新しい形です。
「最近では、食品加工や水耕栽培を通しての野菜の生産、エコパークでの資源ごみの選別、農家さんでの収穫作業など、さまざまな仕事をいただいています」
――これからも、仕事の幅は広がりそうですね。
「そのためにも、障がい者の方が生活しやすい周辺の支援が必要です。例えばバスの運賃。障がいによっては、数字が苦手な方もいる。でも、お金がわからなくてもニモカとかをチャージができたらバスに乗れるでしょ。できないのではなく、サポートすることで、できることを少しでも増やしていく。そのことを理解すれば、地域とのつながり方も変わってくると思っています」
氏名 | 上田 浩司(うえだ ひろし) |
会社名・団体名 | 社会福祉法人さつき会 |
所在地 |
〒811-4156 宗像市自由ヶ丘南3-32 |
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インタビューを終えて
「上田 浩司」考
K-STYLE(アザレ西福岡販売) 梶本 聖高
親族で経営する組織の責任者を務めるというのは、大変なことだと思う。父親や弟は、大野城で施設の運営を行っているそうで、お互いが支え合いながら、刺激を受けながら、施設をまとめている。兄としては、弟の動きを見守りながら、といったところだろうか。どちらにしても、よく動き、よく話し、よく繋がり、よく飲む男が上田浩司だ。仕事から離れても、さまざまな集まりを企画しているが、例えばプロから話を聞く飲み会、お寺の住職と話しをしながら飲む会など、そのほとんどが飲み会だ。
そんな集まりを開く背景には、「知りたい」という欲求がある。誰かの活動が知りたい、あの人の考え方が気になる。そんな興味が先にあり、それを引き出すためには、その人に会う必要がある。でも、堅苦しいのは好きじゃない。じゃあ、ということで飲み会。しかも、そんな貴重な機会を独り占めするのは申し訳ない、みんなでシェアしようということでの企画と言える。知り合うことで認め合い、支え合うことで、応援する力が生まれる。障がい者支援とは、そういうものなのかもしれない。
自宅では、4人の父親だ。土日は家族と出かけるというから、家族サービスは欠かさない様子。大人との関係を学べる場所に、子どもを連れだすこともあるとか。その思いと愛情が次の世代につながり、また新たなサービスを生み出す。さつき会のこれからに、しばらくは目が離せそうにない。