吉村 かおり (よしむら かおり)
flowers very smile.
――お花屋さんって、女の子がなりたい職業の上位にある仕事ですよね。
「いや~、大変ですよ。体力使いますから、間違いなくガテン系。運ぶだけでも力が要りますし」
――でも、いつも明るく元気なイメージがあります。
「天真爛漫なんですよね。型にはまりすぎるのは好きじゃない。だから、フラワーアレンジを頼まれたら、『性格が花に出てるよねー』とよく言われますけど、それって嬉しい言葉なんです。
流行に左右されたデザインにもしないし、なんかフワフワしたアレンジになるんですよ。でも、それが私らしいようで、お花の先生から『お花を仕事にしてよかったねー』とよく言われます」
――どんなお子さんだったんですか?
「幼少のころは、習い事ばかりさせられていて、忙しい幼稚園児でした。エレクトーンに日本舞踊。習字に英会話。自分の意志ではなく、1週間毎日何かの習い事に行っていた感じです。勉強しなさいと言われたことはなくて、何か『芸』を身につけた方がいいと、親は考えていたんだと思います。
そんな親の思いとは裏腹に、私はおてんばで、水たまりにわざと入って座り込んだりする女の子でした。山に入り込んで、出口が分からなくなって、探してもらったこととかもあって、大人を困らせていたと思いますね。
私の家は祖母の時代から酒屋をはじめまして、子どもの頃から両親は、休日もなく仕事をしていましたし、遊びにも連れて行ってもらえなかったので、絶対にサラリーマンと結婚しようと思ってました(笑)」
――商売人は嫌だな、と?(笑)
「はい。店が休みの日でも働いている姿を見ていたので、どこかに遊びに連れて行ってもらっても、〇時には戻らないといけないというケースも少なくなくて、基本的には家からあまり遠出できない状態でしたね。
小学校の頃は習い事とドッジボールの毎日。中学・高校の時はテニス部の活動。その後、英語が好きだったこともあって、短大に進学したんですが、英語の授業が楽しくなくてバイトばかりしてました」
――就職は一般企業に?
「はい、経理の仕事をしてましたが、4年間やってみて『向いてないな』と。とにかく人も仕事も集まる中枢的な部署で、ハードだし、予算書とか決算書の作成、経営計画の資料作成、損益計算書とか貸借対照表とか、わけがわからないし、桁もやたら多いし(笑)。でも、楽しかったんです、会社も人も。メリハリもあったし、同期や先輩と遊ぶのも楽しかったし。でも、結局はあこがれの寿退職しました」
――お仕事は?
「専業主婦でしたよ、3年くらいは。ちゃんと、公園デビューもしたし(笑)。ところが、次女がお腹にいる時に、当時の夫を見て『ん???』と。女性の第六感って、結構当たるもんですね(笑)。抱えていた借金も一生懸命やりくりして返済して、よかったーと思った矢先の「ん???」でしたから、頑張ろうという気持ちも切れて。でも、私がドヨーンとした気持ちのまま子どもを育ててはいけないと思い、前向きにシングルを選択しました。当時はまだバツイチという言葉も今ほどメジャーじゃなく、ものすごく孤独感を感じましたね」
――それは、一人になったから?
「というよりは、社会の輪からはじかれたような感覚。生活をしていくにはどんな仕事をしたらいいのかわからなくて、でも何かしなきゃという思いは強くて。そこで、一時的に市の臨時職員の仕事をしていた時、新聞折り込みである会社の求人を見たんです。福利厚生が充実していて、私と同じような境遇の女性も働けると聞いたんです。それで応募したら採用されて、前の職場を辞めるまで2か月も待ってくれました。その後、配属された部署で、飲食店やクリニックなどへのルート営業をしていました。準社員とて7年勤めましたが、環境はよかったし、生活も安定していたんですよ」
――でも、何かが変わったんですね。
「不満はなかったんですが、このままでいいのかなという気持ちでいました。それで、いろいろ考えてみて、20代の頃に習っていたフラワーデザインを再度習いに行こうかなと。また、新しく仕事をするにしても、資格がないと難しいだろうなと考えて、『一級フラワー装飾技能士』を取得。会社を辞めるに当たっては、安定した仕事が見つからないままでしたので、上司をかなり心配させてしまいました。引き止めてもくれたのですが、退職後は、花屋さんでアルバイトを始めました。ショップでの経験がなかったから」
――その経験を元に、独立されたんですね。
「実はそうではないんです。バイトをしていた花屋さんはカフェも併設していたので、お花の勉強よりもカフェの仕事の方が忙しくて(笑)。オーナーから『ここでバイトとして働くより、こだわらずに、自分で始めた方がいいよ。バケツとはさみがあったら、できるんだから』と言われて。当然、アルバイトでは娘二人を育ててはいけません。それを信じた私は、『花屋しよっかなー』って、父にぼそっと言ったら、それが現実に。数日後、父が『場所、借りたから』と言ってきて、あっという間にオープンすることに。もう、やるしかないという状況でした」
――トントン拍子だったんですね。
「トントン拍子というより、周りから背中を押してもらった感じですね。1~2年は何もわからなくて、手探りの毎日で、こなしていくことが精一杯。3年目に入ったら、先行きの不安がどっと押し寄せてきて。営業もできてないし、売り込めてないし。それで、『女性起業セミナー』に参加してみたんです。そうしたら、自分と同じ悩みを持っている人がたくさんいて、何となく安心して、少しずつ外に目が向くようになったんです。人脈を作ろうとSNSのオフ会に出かけたり、朝活とか、ランチェスターの勉強会にも参加しました。従業員がいても、いなくても、代表者の悩みは似通っていることもわかって、仲良くさせていただける方も増えて、社交的な自分に変わりました。
そういう意味では、いろんな『人』と繋がってきたおかげで、気持ちが前に向いて、モチベーションも上がってきたように思います。FM局のアシスタントをさせていただくことになったことも、人がきっかけですしね」
――フローリストとしての現在は、いかがですか?
「私は、あまり事前に100%完璧に考えることはしなくて、その時に考える。花束のご注文をいただいたら、どんな人に、どんな目的で差し上げるなど、できるだけ情報をいただいて、市場に行きますが、予定していても、予定通りの花が市場にあるとは限らないでしょ。だから、あまりガチガチに考えず、あるものをどうアレンジしようかと考えているんです。そういうのって、正解も間違いもないし、どちらかというと人間性というか、『私らしさ』が出るのかな」
――お客様とその先のお客様の「繋がり」も大切にされているそうですね。
「レストランやショールームの活け込みをしている中で、初めはその空間にあう花を飾り、来店のお客様の気持ちを和ませることを目的にしていたのですが、花は癒しや空間の装飾だけではないと思うようになりました。
花があることに不快感を抱く人はほとんどいないと思います。あるレストランでは、お客様をお迎えするためのおもてなしの花を飾らせていただいているのですが、お食事を終えたお客様は、会計をしに、この花の前にもう一度来られて、花の名前をスタッフに尋ねたり、花をバックに写真を撮ったりするそうです。花を通して、お客様とスタッフとの間に会話が生まれて、コミュニケーションが図れているんですよね。また、高級車のショールームでは、『お客様とお花を見ながらお話するんですよ』と聞きました。ビジネスにおいて、私が飾った花が、立派なコミュニケーションツールになっていると感じますし、その役割を担えていることを、とても誇りに思いますね。
お客様先に飾った花を見て、私の知らない方に喜んでいただけて、お店のスタッフはお客様が喜んでくれることに満足感を得る。そういうサイクルがとてもうれしくて、私自身のパワーの源になっているんです。ハッピースパイラルですね(笑)」
氏名 | 吉村 かおり(よしむら かおり) |
会社名・団体名 | flowers very smile. |
所在地 |
〒813-0043 福岡市東区名島4-53-11 |
関連ホームページ | http://www.2525verysmile.com/ |
インタビューを終えて
「吉村 かおり」考
株式会社マルショウ 正木 研次
自分のことを「適当」だと答える吉村さん。「芯が通っていない」と自己分析するが、そこには、型にはまらない吉村さんらしい生き方が隠れているように思う。「周りの流れが早いから、あまり考えずに、とりあえずスタートする」ことが、さまざまなアイデアやその時の判断・決断につながっているのではないだろうか。卒業式のステージ、講演会の壇上、結婚式の会場など、飾る場所はまちまちで、その時の人の流れや見え方もバラバラ。どんなに準備していても、その会場で判断しなければならないことが多いことは、想像に難くない。
そんな吉村さんも、二人の娘の母親。母としては「厳しいけど、うるさいかな」と笑う。とはいえ、仕事がベースの毎日。プライベートとのバランスは難しいという。そんな今の目標は、身体を整えること。一人で仕事をしているからには、身体が資本だと話す。歩くこと、休めるときは休むことなど、メリハリのある生活を目指す。「今年は、ビジネスカラーインストラクターや、ビジュアルマーチャンダイジングの勉強をしたい」とか。前向きに取り組む姿勢は、きっと、いきいきとした花束となって、誰かを元気にしてくれるに違いない。