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庄司  晃 お客様に価値を提供する IT活用のトリセツ的存在


庄司 晃 (しょうじ あきら)
ITコーディネータ

ライフチャート
●プロフィール
1963年長崎県平戸市生まれ。大学を卒業後、キヤノンのグループ会社に就職し、福岡にて営業を担当。その後、さまざまなシステム開発会社で経験を積み、2015年より独立。求められる場所に出向き、システムによる営業支援だけでなく、自治体サービスに関わる調査や資料作成など、プロジェクトの中心となって活動している。プライベートでは、3人の息子の父親でもある。
●ヒストリー
 

長崎平戸から大都会へ
そこで学んだのは人との繋がり

――Facebookなどで、さまざまな集まりに参加されている、楽しそうな庄司さんを拝見しています。

「人が大好きだからですね~。仕事も遊びも全力です」

――ご出身は長崎県なんですね。

「平戸です。親が公務員だからか、僕もまじめな子どもに育ったようです(笑)。平戸は海に囲まれているので、いつも海で遊んでましたね。伝馬船って知ってます? 昔、漁に出る際に使っていた小さな船なんですが、なぜかそれが実家にあって、それに乗って魚釣りとかもしていました」


――何か打ち込んだことは、ありましたか?

「中学に入って、野球部に。でも、その頃は小さかったんですよ、134センチしかなくて。力もないので、補欠。でも休まなかった。体は強くて、よく動いていたみたいですよ。最後にユニフォームもらえた時は、本当にうれしかったですね。高校に入るころは、身長も165センチになっていて、入学後はバスケ部に。1年生の8月にはレギュラーになったので、やっぱり動きはよかったんでしょうね。練習はきつかったし、怪我したりもしましたけど、先輩は優しかったし、楽しかったですよ」

――大学は、東京に出られたんですね。

「はい、都会ってどんなところだろうという興味もありましたし。家では、父が同僚を家に連れてきて、飲んでるのが嫌だったりもして。住んだのは渋谷で、親から5万円仕送りしてもらって、家賃は2万5千円。吉祥寺にあった寿司屋でバイトをしてました。別の大学の学生が、ゼミの宴会とかしてると、なんか悔しくて、『見返してやろう』と思ってましたね」

――東京での生活は、いかがでたか?

「とにかく、バイトを頑張った。正月とかも帰れないわけですが、バイト先がとてもいいところで、馴染みのお客さんがチップをくれたり、たばこをくれたりして、本当に可愛がってもらいました。都会にもいい人いるんだなーと。ただ、どうして、そんなに良くしてもらったんだろうと考えて振り返ったら、まじめだったんだろうなと。言われなくても気づいたことはどんどん動いていたので、大将から『休んでもいいよ』と声を掛けられていましたし。田舎から出てきた『素朴さ』もよかったかもしれませんね。このバイトを通して、人とのお付き合いを学びました。嫌でも付き合うことの大切さも。本当にいいバイト先だったので、辞める時は泣きましたね」

営業一筋。転職を通して
自らを見つめ直す

――卒業後は、どちらに就職を?

「やっぱり田舎モノなんですかね、東京では生活できないなーと思っていたので、長崎市か福岡市で就職できたらと考えていました。2社面接受けて、キヤノンのグループ会社の地域販社に就職、福岡勤務になりました。1か月は東京で研修を受けましたが、やってみて大変な仕事だなと。東京研修の最後1週間で、仕上げの研修である『飛び込み研修』というのがあったんです。とりあえず飛び込んで、名刺をもらってこい!という研修。僕はよくわかってなくて、名刺はいただけるものだと思っていたんですよね。もちろん、そんな姿勢で営業に回るから、名刺なんてもらえません。1日目は100社回って、名刺が4~5枚しかなくて、上司から怒られた。それで、悔しいから2日目は100枚名刺をもらってきました(笑)」

――研修終了後は、福岡に配属。

「はい、とにかく回りました。コピー、FAX、ワープロなどを取り扱っていましたが、当時は販売が直販しかなくて。もちろんノルマがすべてではないですが、達成しないと、というプレッシャーは大きかった。まさに『犬棒営業』。でも、おかげで1年目は少しずつ売れて、2年目はお客さんからの紹介という形で広がっていきました。やはり続けることの大変さを痛感しましたね。その後、システム営業部へ異動。こちらでは、マッキントッシュやレーザープリンターとかを担当しましたが、これが全く売れなくて、特に新規の開拓が厳しくてですね。そこから、違う方向を見るようになりました」

――違う方向とは?

「プログラムに興味を持つようになったんです。仕事でEXCELとか使い始めていたんですが。それが楽しくて、自分に合ってるんじゃないかなと。そこで、お客さんの紹介でソフトウェア開発の会社に転職しましたが、エンジニアを希望したのに、営業部に配属。面談の時に、どうも、『こいつは営業だな』と思われたようで、結局営業一筋になりました。でも物販とは違い、仕様をお客さんと話しながら進めていくスタイルは、僕に向いていたようで、楽しく仕事ができていたんですが、40歳を迎えた時、トップが変わり、営業方針も変わりました。『福岡は営業しなくていいから』と。そこからです、なかなか仕事を前向きに進められなくなり、結局は関西に異動。要は飛ばされたわけです。そこから、如何にして福岡に戻るか、『辞めるしかない』と思って、転職活動。福岡の麻生グループのシステム会社に転職しました。

――福岡に戻ってこられたんですね。

「こちらも楽しかったですよ。たくさんのプロジェクトに関わらせていただきました。だから、前の会社から『戻ってこないか』と連絡があった時も、断ったんですよ」

――そんなことが、あったんですね。

「はい、誘っていただいた社長への恩義もありますし。しかし人生、すんなりとは行かないですね、トラブルが発生して、一緒に仕事をしていた仲間2人、このうち1人は前の会社の同僚なんですが、この2人と『これから、どうしよう』と。その時に、前の会社から『戻ってこないか』と連絡があったことを思い出して、今度は自分から連絡したんです。『その話、まだ生きてますか?』って。そうしたら、1人でも3人でもOKだよと返事をもらい、3人で新しいことをしようと企画してたんですが、結局、前の会社に戻ったのは、僕以外の2人でした」

――えっ、庄司さんだけ、ダメだったんですか?

「かなりショックでした。なんで?と。僕が用意した話だったし、そもそも『戻ってこい』と連絡くれたのは、僕にじゃないかと。ものすごく落ち込んだし、人間不信にもなりました。でも、結局は甘かったんですよ。僕が『好き』だけではダメなんですよね。それに振り返ったら、前の会社で人間関係をしっかり築けていたのかと自問自答すると、自信はないかも。言いたいこと言ってて、周りのことを考えてなかったんじゃないかって」

 

求められたものを形に
信頼関係が何よりの力

――その後は?

「一人で残務整理を行い、2人から遅れること半年で、違う会社に転職しました。その会社は福岡に拠点がなかったので、新たに福岡市内に営業所をつくり、県や市町村のIT化や人材育成を支援することになりました。総務省の調査事業や、福岡県下44自治体のIT化に関する共同利用システムのプロジェクトなど、幅広い仕事をさせていただきました。44~45歳くらいの時で、徹夜も苦にならないくらい充実していましたね。あと、コミュニティ活動もしていて、天神大名地区のwifi化協議会の事務局や、IT人材の育成を行うNPO法人AIPの運営委員なども行いました」

――順調にスキルを磨いていかれたんですね。

「そうですね。でも、身の丈を越してしまったのか、北九州のプロジェクトでのシステム移行業務で赤字を出してしまい、結果的には退職を促され、会社を去ることになりました。誰かが責任をとらなきゃいけなかった。しかし、見ている人はキチンと見ていてくれたんですね、ある町の課長さんから手伝ってと声をかけていただき、システム構築だけではなく、町の総合計画や行政マネジメントといった業務も引き受けることになりました。審議員にもなって、行政職員のように働きましたよ。さらに、この時、派遣会社とつながりができて、そこから、新しい役割をいただき、より前に進めるようになりました」

――その派遣会社さんとのつながりは、大きかった。

「はい、何よりも、自分の経験を評価していただいたことが、自信になりましたし、勇気が出ました。そこから初めて、IT運用管理の仕事をするようになり、2015年に独立。個人のITコーディネータとして複数の企業の仕事に携わり、営業支援や品質管理など、さまざまな仕事をさせてもらっています
 これから力を入れたいことは、人材の育成かな? 若いエンジニアを見ていると、とてもいい子だと思うんですが、何か物足りない。仕事上、行き違いがあった時などに簡単に謝ったりする光景をよく見ますが、そこは違うんじゃないかなと。後でもめるくらいなら、今言わなきゃ。顧客先でも、言うべきことはしっかり伝える。怒られてことがうまく進むなら、怒ってもらえばいいし(笑)。この歳になると、多少は経験を積んでいます。しかし、時代も違えば相対している人も立場も違う。経験を伝えることはできても、それを押し付けちゃいけないと思うんです。人材の育成は、これからの大きな課題だと思っているので、何か役に立ちたいですね」

――ヒューマンスキル、テクニカルスキル、両方が必要ですね。

「ITは手段ですから、うまく使わなければ、効果はでないと思っています。僕たちはITの翻訳家。お客様が言葉にできないこと、伝えきれていないことをくみ取り、明確化してあげる。さらに、使いやすく、使い続けられるものでなければいけないと思います。そこは重要です。今、関わっている介護分野は、ITに疎い方が多い業界でもあります。そのあたりを、どう解決していくかが課題ですね。
 お客様の中には、潜在的課題に気づいていない方も多いと思います。これから何が問題になってくるのか、まだわからない状態の中で、将来的に問題になるであろうことを明らかにしていく。大変な仕事ではありますが、大切なのは、先ず、私自身が信頼できる、魅力的な人間であるかどうか。そうでなければ、相談もされませんよね。自分自身を磨き、お客様に付加価値を提供できる存在になりたいと思っています」

 

氏名 庄司 晃(しょうじ あきら)
会社名・団体名 ITコーディネータ(株式会社インフォメックス所属)
所在地

〒805-0071 北九州市八幡東区東田1-5-7
  TEL 093-663-1303 FAX 093-682-0311

関連ホームページ http://www.infomex.jp/
 
 
 
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 インタビューを終えて
「庄司 晃」考

 

エアドライブ株式会社 代表取締役CEO 山中 勇輔

自己分析では、「自分に甘く、他人には厳しい」というが、東京での学生時代、そこから、たくさんの企業を渡り歩いた経験など、酸いも甘いも知っている庄司さん。若い頃から変わらない「人の良さ」が、いい面にも悪い面にも、影響を与えているのかもしれない。まっすぐだからこそ、伝えるべきは伝える。そこで起きる摩擦は、時によって、厳しい道の選択につながることもあっただろう。しかし、そんな「素朴」な人柄に惹かれ、集まってくる人が多いのも、また事実。「楽しいことができそうだ」の期待感を抱かせてくれる庄司さんの存在は、周りの人を元気にもしてくれているのだ。
家庭では3人の息子の父親。「声が大きくて、うるさい」と言われているそうだが、気持ちを前面に出す、喜怒哀楽をはっきり出すタイプ。最近、3人の息子が揃って出勤していく姿に、感動したという。仕事が忙しい中、有給を取って息子の部活動を見に行ったり、授業参観に参加したり。そんな優しい父親の姿も、想像に難くない。一方で最近は「落ち着きすぎかな~」とも。もちろん、落ち着くのはまだ早い。やりたいこと、目指すものも多い中、たくさんの人に慕われているご自身に発破をかけ、さらに楽しいこと、ワクワクすることを仕掛けてくれることを、今後も期待したい。

 
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