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糸川 郁己 地域の困りごとを解決してビジネス創出 人や組織を”ツナグ”コーディネーター


糸川 郁己 (いとかわ いくみ)
I.I.(アイツー)

ライフチャート
●プロフィール
1980年北海道生まれ。北海道札幌国際情報高校、会津大学コンピュータ理工学部卒業。システムエンジニアとして就職、東京の仕事で経験を積んだ後、異動を機に福岡へ来て10年。転職を経て、現在、公益財団法人九州ヒューマンメディア創造センター主幹研究員。地域資源を活用、地域課題をビジネス創出により解決する構想の策定・実行を担当。シビックテック(地域貢献のためにITを活用する取り組み)推進コミュニティ「Code for Kitakyushu」事務局長のほか、個人事業として「I.I.アイツー」を立ち上げている。
●ヒストリー
 

ひ弱ないじめられっ子
高校で生涯の友と出会い、自分の適性を発見

――いじめられっ子だったんですって?

「体が弱かったからですね。なんせ、難産の末、産まれた時には息をしてなくて、お尻を叩かれてようやく産声を上げたらしいです。3つ上の兄からも、クラスでもいじめられ。でも兄は、『弱い弟を鍛えてやろう』と思っていたようですが」

――あまり友だちもいなかったんですか?

「いませんでした。両親とも本好きで、家には本がたくさんあったから、星新一や北杜夫、遠藤周作とか同級生が読まないような本を読んでる生意気なヤツだと思われて。代わりに、兄と読んだ本の感想を言い合ったりしてました。今にして思えば、兄からは本の読み方や考え方など、色々なことを教わったんだなと思います。母はサバサバとした性格で、子どもに対しても、一人の人間として向きあってくれました。それに父がSEだったから、その時代には珍しく、個人用のコンピュータが自宅にありました。友だちと遊ぶより、家で、雑誌に載っていたプログラムをコンピュータに打ち込んだり、家族と話している方が楽しかったですね」


――理解あるご家族がいて、本とパソコンが友だち。恵まれた環境とも言えそうですね。

「高校も『自分で行きたい学校に行きなさい』と自由に選ばせてくれました。『成績がこれくらいだからこの高校に』と教師から指定された学校はイヤだったんです。それに、人間関係を変えたかった。それで、開校したばかりの北海道札幌国際情報高校に進みました。国際化、情報化を掲げて、英語やコンピュータ関係の科目が充実。普通科のほかにも様々な学科があり、学科混合でホームルームを行うといった、先進的な学校でした」

――環境を変えたのは正解でしたか?

「はい、初めて親友と呼べる仲間ができました。放課後、男3人で暗くなるまで話し込んで、楽しかったですね。それに、変な人が多かった(笑)」

――変な人?

「廊下を叫びながら走り回ったり(笑)。とにかくクセのある生徒が多かった。他の教科はダメだけれど数学だけは全国模試でトップとか、英語にかけては誰もかなわないヤツとか。個性と能力が際立った連中がいっぱいいて、とてもかなわない。ならば自分はゼネラリストで行こう、スペシャリストを助ける環境を作る側になろうと思うようになりました。自分の適性が見えてきたのも、あの高校のおかげです」

一大プロジェクトの開発リーダーに抜擢
挫折、休職。本州・四国一周の旅に

――進学された会津大学は、日本初のコンピュータ専門大学だとか。

「もともと、コンピュータ関連の大学に行きたくて。国公立大で探していたら“コンピュータ理工学部”とそのものずばりの大学があり、これだ、と(笑)。教員の半分くらいが外国人で、当然授業は英語。英語を母語としない国が出身の教員たちは、訛りがキツイ英語を話すので、聞き取りにくかったですが、IT関係は英語そのままの単語が多く、助かりました(笑)」

――高校、大学とも国際派の先駆的な学校を選ばれたわけですね。

「新し物好きで(笑)。高校は2期生、大学は7期生。教員も学生も、全体のシステムや雰囲気も、型破りな大学だったと思います。一方で、コンピュータの世界って、はやりすたりがあるじゃないですか。そういう表層的なことではなく、『情報工学』の観点から、学問としてきちんと学べたことは、その後のシステムエンジニアとしての基礎となりました」

――と言っても、勉強のみに明け暮れていたわけじゃないですよね。

「決して真面目な学生ではなく、自分ではノートを取らず、友だちから借りたりしていました。人を頼りながら、結果を出すのが性に合っているんですよ。アルバイトでは、ラーメンチェーン店で冷凍餃子の訪問販売。飛び込み営業をさせられたのも、いい経験でした。営業って、つきつめれば、相手の求めているものが何かを見極めて、それに見合った商品・サービスを売っていくことだと思うんです。私が今やっている事業コーディネーターは、自社のサービス・商品を売るのではなく、他社の商品や、自分ではない別の人や組織とつないでいくという違いはあるものの、ベースは一緒だと思っています」

――システムエンジニアとして就職後は、3年目にしてシステム開発リーダーに抜擢され、順調に滑り出したようですが。

「東京放送キー局向けシステムの開発リーダーでした。ワンセグ放送が始まるときの番組編成に関する国内初システムの開発という大きな仕事でしたね。まだ日本全国どこにも存在しない制度について、ユーザーと運用を想定しながら進めていくという、極めて難易度の高いプロジェクトでした。自分自身の経験不足もあり、なかなかうまく進まず、毎月長時間の残業を繰り返しているうちに、突然朝、起きられなくなってしまいました。いわゆる鬱だったと思います。先輩方に助けられて何とかリリースした後、いったん仕事を離れたくて休職。日本一周の旅に出ました。
 東北からスタートして、関東中部近畿、四国でのお遍路巡りを経て関門海峡まで来たのですが、休職期間も残り少なくなってきたので、『九州は、また改めて来よう!』と関門橋を背に北上。日本一周ならず本州・四国一周の旅に終わりましたが、復帰して間もなく、北九州に赴任。思いがけず、誓いを果たすことになりました」

九州ヒューマンメディア創造センター研究員として講演

 

ヨソモノだからこそ見える
地域の魅力や資源を活用、地域に貢献

――その後、転職、個人開業も九州で。もともと縁もゆかりもなかった地ですよね。

「生まれ育ちは北海道、大学や就職は東北。九州には足を踏み入れたことさえありませんでした。北九州市役所内のシステム再編プロジェクトのマネジメント支援、データ移行という大きな仕事から、すっぽり九州にはまってしまいました。北九州の会社に転職したのは、前の会社の福岡営業所の撤退が決まったため。プライベートな事情もありましたが、九州ヒューマンメディア創造センターの方々をはじめ、仕事を通じていろいろな出合いがあり、可能性を感じたからこそなんですが、一番大きかったのは、“人に求められる仕事をしなさい”と言ってくれた人がいたことです」

――自分の適性は「スペシャリストを助ける環境を作る側」にあると言われましたが、今はその意味での事業コーディネーターとして動かれているわけですか。

「そうですね。北九州には自分で新規事業立ち上げや、地域の課題に対して何かしたい、と志す人たちが多いんです。だけど、いろんなことを自分や身内で抱え込んでしまいがち。もっと外部に仲間をつくって、うまく『他者の力』を利用すると、志すものの実現へと結びつくはず。そんな人たちに『ココにこんな人たちがいる。こういう技術や力を借りることができる』と紹介して、きちんとつなぐ。つないだ上で、お互いがどういうカタチで関われるかまで一緒に考える。その後は当事者を尊重して見守り、必要に応じてアドバイスを行う。そうして事業が継続できるように、第三者として意見を出す。それがコーディネーターだと思うんです」

――もともと「人の力」を活用する術に長けていた糸川さんには、一番合っているのかもしれませんね。

「特にIT系の話って、専門用語がポンポン飛び出してわかりにくいじゃないですか。IT業界や技術者特有の発想や思考回路も、他の人にとっては誤解を招きがち。技術者と地域市民との間に立って『通訳・翻訳』し、共通のメリットを示して、道筋を立てていくことが求められていると感じています。さらに言えば、ヨソモノだからこそ見える地域の魅力と課題と資源を、ビジネスという枠組みにくみ上げていくことも自分の役割なんじゃないかと思っています」

――ところで「I.I.(アイツー)」という屋号の意味は?

「もともとは名前の頭文字で、高校時代からの自称のあだ名なんです(苦笑)。『I.I.』で『アイツー』。単純ですが『アイツと一緒にやったら何とかなるよ』『とりあえずアイツに相談したら?』という風に声をかけてもらいたいですね」

北九州初のハッカソンイベント「シビックハックin北九州」事務局メンバーと。

 

氏名 糸川 郁己(いとかわ いくみ)
会社名・団体名 I.I.(アイツー)
所在地

 

関連ホームページ https://www.facebook.com/ikumi.itokawa/
 
 
 
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 インタビューを終えて
「糸川 郁己」考

 

P&Cプランニング株式会社 上田 あい子

小中学校を通じて「ネガティブ思考のいじめられっ子」だったとは意外だ。3歳上の兄の宿題をさせられ、外で迷ったときに道を尋ねるのも幼い糸川さんの役割。しかし、そのおかげで学習能力やコミュニケーション能力は向上。「わからないことは人に聞こう」という意識が育まれたという。友達はいない代わりに読書にふけり、星新一の描く未来の世界に思いを馳せる……。ああ、やっぱり今の糸川さんにつながっている。「いじめられっ子」時代も、決して内向きではなく、豊かな感性を育んでいたのだろう。
 理解ある両親、特に母親に温かく見守られながらも、集団生活には今ひとつ溶け込めなかった糸川さん。最初の転機は、なんと言っても高校進学だ。「環境を変えたい」という選択は見事に成功。当時としては、最も先進的な高校が通学エリアにあったことは幸運だったけれど、それも15歳の糸川少年の明確な意志があったからこそだ。
 「基本おたくだけれど、没入するタイプではなく、あきっぽい性格」と自らを評する。スペシャリストよりゼネラリスト。小さい頃から夏休みの自由研究が苦手で、人のノートを借りていい成績を得る。自ら「創造」するよりも、人と人をつなぎ、それぞれの個性・能力を最大限に引き出し、活用していく調整型の糸川さんにとって、事業コーディネーターはまさに適職だ。
 「Code for Kitakyushu」のアイデアソンなど、本当にワクワクして楽しそうだし、糸川さんならではの企画だと思う。
 九州のビジネス界に数少ない道産子。福岡・北九州にすっかりなじみ、既にこの街になくてはならない人材になっているが、いい意味での「ヨソモノ」の強みを生かして、新鮮な発想で、福岡の街にビジネスの種を蒔き続けて欲しいものだ。

 
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