• RSS1.0
  • RSS2.0
トップ  > 中小企業がパートナーとして選びたい福岡の30人  > 上田 あい子 命と笑顔のバトンを次世代へ 自らの経験をビジネスに生かす

お問い合わせ先

一般社団法人中小企業事業推進機構
〒810-0041
福岡市中央区大名2-12-10 第2赤坂ビル
TEL: 092-739-5357
FAX: 092-739-5330
モバイルサイトはこちらから

上田 あい子 命と笑顔のバトンを次世代へ 自らの経験をビジネスに生かす


上田 あい子 (うえだ あいこ)
P&Cプランニング株式会社

ライフチャート
●プロフィール
1974年福岡市生まれ。活発で、中学・高校・大学とバレー部の活動に力を入れた学生時代を送る。20歳の頃、自分の人生を送ろうと思い立ち、親に反抗して、就活でTV局に挑戦。KBCに入社する。放送の知識もない中、ゼネラリストとして関わり、結婚・出産ののち、現場復帰を果たす。しかしハードワークが影響し、脳動脈瘤で倒れ、ワークライフバランスを考え退職。女性の社会進出やキャリア支援、マーケテイング事業を行うP&Cプランニング㈱を2007年に設立する。
●ヒストリー
 

体育会系女子が、遅めの反抗期
難関を突破し、地元TV局へ

――上田さんは福岡のご出身?

「生まれたのは福岡ですが、父の転勤で、3歳の時は長崎。バスも電車もない田舎で、レンゲ畑で遊んでいました。小3から2年間大分。小5で福岡に戻ってきました。地下鉄もあって、洗練されてて、西新小学校に転校したときは緊張しましたね~(笑)」

――どんなお子さんだったんですか?

「活発で、ハキハキしてて、よく体を動かすタイプ。ちょうどスポ根時代でもあったようで、中学・高校・大学とバレー三昧でした」


――身長もありますもんね。学生時代、印象に残っていることはありますか?

「高校受験の時、なんかチャレンジできるぞというイメージがあって、好きなところを選びたいと思ったんです。でも、実際には下に妹弟二人もいるし、公立じゃないとダメだよなーなんて思って、結局無難な公立に。不発な感じで、納得できなかった思い出がありますね」

――大学はどちらに?

「英語の先生になりたくて、西南学院大学を目指したのですが、英語の学部には残念ながら落ちて、商学部へ。本当は浪人して、受け直したかったんですが、それはできなくて。そんな中で20歳になり、ふと、『私は自分の人生を生きてないじゃない!』と思って腹が立って。遅かったけど、反抗期ですよね、これって。全部人のせいにして、親にも『ピアノなんか、習いたくなかった! 授業も面白くなかったし、習い事なんて迷惑だった!』と。親には酷いこと言ってしまいましたが、自分の殻を破った瞬間だったかもしれません」


――そこから、人生に対する姿勢が変わったんですね。

「就職先を考える時、自分が知っている中で、一番難しい業界にチャレンジしようと思って、それがTV局。今考えたら単純で、幼稚ですよね(笑)。大学2年頃から就活を始めて、3年の冬に1社目にチャレンジ。もちろん、簡単じゃないですよ。応募している学生たちは、研究会のOBなど、つながりを持っている人がほとんどで、何もつながりがない中受けているのは、私くらいじゃないでしょうか。書類は、東京・大阪・広島・山口・九州とあちこちに提出して、面接までなんとかこぎつけても、最後には落選の連続で。でも、ぎりぎりでなんとKBCに合格。今まで、どこかで頑張ることから逃げていたように思うから、頑張ってよかったと思いましたね」

突然の大病に「命」を考え
女性としての生き方を探る

――TV局はいかがでしたか?

「皆さん、賢いし、優秀だし、しかも気が強い人ばかり(笑)。私はほぼ素人の状態ですから、視聴者代表のゼネラリストとして貢献しようと、制作現場で11年間、頑張りました。その後、結婚、出産。産後5か月で現場復帰を果たしました」

――バリバリ働かれていたんですね。

「でも、大変なのはそれから。私は、子どもがいることを悟られないよう、独身者と同じように働いていたので、無理が来たんだと思います。31歳の頃に、取材現場でめまいがして、倒れた。原因は、膠原病と脳動脈瘤でした。私は死ぬの? 今まで元気だったのに? 子どもはどうするの? 私は死んでいいの? いろんな思いが頭をグルグル。ここで初めて、命が有限であることを意識したんです」

――お仕事のやりがいはあったと思いますが、それ以上の大変さがあった。

「そうですね。女性が社会で活躍するということの本当の大変さを体感しているのは女性なのに、女性からの生の声はどこにも届いていないし、生かされていない。どうしたらいいんだろうと思いました。仕事もやりがいがあり、私もテレビ局を辞めたくなかったけど、命と天秤はかけられない。最後まで悩みましたが、息子が小2の時、私の心も折れてしまったのでしょう、退職を決断しました」

――大変な思いをしている女性も多いということですよね。

「私の友人も、子育てと仕事の両立もそうですが、がんになって髪が抜けたりしていて、子どもは産めないかもと悩んでる。病気と仕事のライフバランスや、更年期の心と体の付き合い方とかに不安を感じていたりしている。女性にはいろんな情報が必要なんです。様々な情報は氾濫しているのに、本当に必要な情報の格差が生まれているし、それが希望格差になっている。特に九州は、まだ結婚退職が多いでしょ。私が情報を求めた時、ワーキングマザーは東京に多くいました。インターネットなどでワーキングマザー同志がつながっていて、共有でコミュニティを作っていることも働きやすい背景にあると思うんです。同じ立場の人と相談しながら、上手な休み方とか配慮の仕方とかを話しながら、そのような情報にみんな励まされて、救われてきたんじゃないかと思うんです。
 10年前独立して、ひとりで女性マーケテイングの仕事を始めました。再就職に際しては、広告代理店から声をかけたりもしていただいたんですが、自分のペースで仕事をするためお断りして、自分で起業しました。ちゃんと株式会社にもして」

――P&Cとは?

「ピッチャー&キャッチャーです。これって、コミュニケーションの基本だと思うので。甲子園で、佐賀北高校が全国優勝したことがあったでしょ。当時、私が佐賀北高校の担当をしていたのですが、あれって、バッテリーの信頼の勝利だと思うんです。そういう信頼関係が築けたらいいな、と思ったのが、社名の由来です。でも最近は、ピンチ&チャンスとも言われてます(笑)」

 

P&Cを信頼関係の絆に
女性の笑顔を全力サポート

――どんな事業を展開されているんですか?

「女性向けのマーケティングをメインに、イベントやセミナーの企画をしています。美容やスポーツのイベント、医療機関の見学とか商品開発とか。社員は1人、パートが4名で、育児中の方もいますよ。商品開発でいうと、九州産のお野菜を使って、お湯を注いだら野菜がたくさん食べられる『乾燥野菜スープ』とか、『乾燥野菜調味料ベジオ』などを福祉作業所と開発して販売。また『チアーズスタイル』というニュースペーパーと情報サイトを立ち上げ、さまざまな病気や介護の問題など、女性を取り巻く課題を取り上げ、情報発信しています」

――ウィッグレンタルサービスも注目されていますね。

「がん治療の副作用で起きる『脱毛』は、特に女性にとっては大きなダメージになります。そこで私は、『NPO法人ウィッグリング・ジャパン』を設立。元患者さんから不要なウィッグをご提供いただき、現患者さんに提供する活動を行っています。レンタル料もリーズナブルで、外見のケアも心のケアもできるので、たくさんの皆さんに喜んでいただいています」

――本当にさまざまな活動をされていますが、その原動力は?

「私の仕事に対する考え方は『選択と集中』。頼まれたら、お仕事はお断りできませんし、実はご紹介いただくこともとても多いので。仕事をさせていただくことになったら、その選択を大切にして、その仕事に集中し、責任をもって、社会がよくなる、面白い提案をさせていただく。誰かが笑顔になるそのサイクルが、私の原動力だと言えるかもしれません。
ただ、TV局時代は、組織の一員として仕事をしてきましたが、今は組織をまとめる責任者。当然、スタッフにも厳しくなります。上手に叱り、上手に褒める。そのことの難しさを痛感し、まだまだ未熟だなと感じています。これまでの反省も後悔もあります。人を育てるのって、待つ力が必要なんですけど、それができなくて。せっかちなんでしょうが、自分自身が未熟なことが、一番の課題かもしれません」

――これからは、知っていただく活動も大切になりそうですね。

「はい、ニュースペーパーや情報サイトによる情報発信というミッションもありますが、マスコミとのメディアミックスも必要かなと。さまざまな有意義な情報を、いかに早く、そして広く、皆さんにお届けできるか、ですね。
ウィッグリング・ジャパンの活動の中で、『カフェで学ぼう がんのこと』という取り組みがあります。これは、リラックスした雰囲気で、病気のこと・予防法や先進医療のことなどを学ぶ会。専門の先生からお話も聞けて、同じ不安を抱えている仲間とも情報共有ができますので、多くの皆さんに参加していただきたいと思っています。またウィッグレンタルサービスでも、現在、貸出が800人になり、集まったカツラも2000個になりました。こういった活動は、がん患者自身の負担を軽くしてくれますし、患者さん同士のつながりもできるので、ぜひ広げていきたいですね。
 私が会社を設立してから10年。女性は明るくなってきたし、社会全体も女性に対する配慮がなされるようになってきたと思います。でも、まだ声を上げられない方もいるし、さらなる配慮が必要な方もいる。そんな女性の皆さんの笑顔と希望のため、さらに成長していきたいと思っています」

 

 

氏名 上田 あい子(うえだ あいこ)
会社名・団体名 P&Cプランニング㈱ NPO法人ウィッグリング・ジャパン
(一社)国際オーガニスト協会
所在地

〒810-0001 福岡市中央区天神2-2-13サンベアービル3F
TEL092-725-6623 FAX092-725-6643

関連ホームページ http://8p-ch.com
 
 
 
本人に直接連絡したい

直接ご本人と連絡を取りたい方は下記からお問い合わせください。
 
 


編集部経由で紹介希望の方
 
編集部経由でご紹介をご希望の方は、下記からお問い合わせください
 
 
 

 インタビューを終えて
「上田 あい子」考

 

アドバンス 平木 修一

 一目で、バイタリティのある方だとわかる。はじけるような笑顔は、自分のためではなく、誰かのために輝いているように見える。上田あい子さんとは、そんな女性だ。
病気を通して、彼女が大切にしているのは、「繋ぐ」ということだろう。突然の大病の際、自分の命と子どものこれからを思い悩んだ末、未来のための選択をした。人のためではなく、家族のため。誰かのためではなく、自分のため。仕事のためではなく、命のための選択。それが「繋ぐこと」。命を繋ぐのは、女性の大切な役割のひとつだ。子どもを産み、育て、すべてを包み込む愛情は、女性の象徴だと言える。上田さんの活動は、そんな女性たちへの強いエールなのだ。
上田さんの活動のひとつに、ウィッグレンタルサービスがある。その活動を、彼女は「勇気のバトン」と表現している。元がん患者から、現がん患者へ。辛かった思いを、次の方の勇気へ。このバトンこそが、上田さんが目指す「繋ぐ」ことに他ならない。次の世代へ受け継がれる命のために、未来を照らす笑顔のために。彼女の活動によって、笑顔を取り戻すことができる女性が一人でも増えるよう、心から願わずにはいられない。

 
書籍購入